怒りの瞬発力
カッとなってやった。衝動的な犯罪の動機などで耳にする言葉ですが、怒るという感情には瞬発力があると思っています。
(怒りの)沸点が低い、という言い方も似たような意味で使われているのではないでしょうか。キレるという言葉も我慢して張りつめていた怒りがあるきっかけで怒涛の如くあふれ出る様を表しているのではないでしょうか。
最近は感情の統制が効かなくなるほど怒るということはありませんが、車の運転中はつい汚い言葉が出てしまうことがあります。
「危っねえなぁ」とか「おいぃぃ!」とか「コイツどこ見てんだ!」とか。
そんな時は奥様が「子供の前で汚い言葉を使わないで!」とたしなめてくれます。
「きっと、凄くう〇ちがしたいんだよ!あんなに急いでいるんだから」
と理由まで考えてくれました。そこで我が家では、無理やり割り込んできたり、飛び出してくる車のドライバーはみんなう〇ちがしたくて超急いでいるということにしました。
しばらくはう〇ちう〇ちといってやり過ごせますが、穏やかに対応していてもそのうちに忘れてしまってカッとなる時があります。そんな時子供が「う〇ちがしたいんだよ!」と言ってくれて「あ、そっか」と怒りの矛先が和らいだりします。まあ、そんなところで怒ってもしょうがないですしね。子供にはいろいろと教えられるものです。
車の運転時に攻撃性が高まることがあると何かの記事で読んだ覚えがあります。自分もそうならないよう気を付けて穏やかに運転をしていきたいものです。みなさん、慌てている車の運転手さんは凄くう〇ちがしたいんですよ。きっと。優しい気持ちで先に行かせてあげましょう。「早よう〇ちしてきな」って。
書いていて思い出しましたが会社の若い子とコンビニに行って立ち読みしていた時に隣で「ちょっとどけよ」「あ、すいません」みたいなやり取りをしていた時のことを思い出しました。どけといった人は知らない人だったのですがイラついていたのでしょうか。立ち読みに夢中になっていたのでしばらく気付かないでいたら、すぐ隣から「あぁ!?なんだテメェ!?」という声が聞こえてきました。「なんぞ?」と思って二人を見たら会社の子が胸ぐらを掴まれています。「なんで?」と思うのもつかの間会社の子が顔を傾けて睨みつけながら
「殺すぞ」と言いました。えええ?5秒くらいで言うの?俺今まで一回も言ったことないセリフだぜ?と思いながら「あの、すいません」と話しかけていたらコンビニの店長さんに丁寧に追い出されました。別々に。グッジョブ店長。ありがとう店長。
鼻息の荒い若手とコンビニを出ると、
「なんだアイツ分けわかんねぇ」
とお怒りでした。僕は
「すぐに殺すとかいったらダメ。俺人に言ったことないよ」
と言いました。この場合はからまれた被害者というべきでしょうが、5秒で「殺すぞ」はダメだと思います。本気で言ってたら人類滅びますって。
ホントに沸点って人それぞれですね。。。僕自身も気を付けようと思います。
先日国からマスクをいただいたのですが「いらねぇよ。こんなもん!自分で買うわ!」と汚い言葉を使ってしまいました。ごめんなさい。総理とその取り巻きの方々。僕は顔が大きくて使えませんので家宝として保管しておきますね。
巣ごもりでやってみたこと
今年(2020年)は新型コロナウイルスの感染拡大に伴って生活が大きく変化しました。
この時はどれくらい休校が続くか全くわからなかったのでどうしようもない時はどちらかが休みを取ってうちにいようと考えていました。幸いお世話になっている学童保育所さんは一斉休校後1週間ほどで午前中も受け入れてくださることになったため、休暇の消費を抑えることができました。
当初春休みが前倒しになったものと思っていたのですが期間がどんどん延長されて新学期になってしまいました。休校中は学校だけでなく市のスポーツ施設なども閉館していたため空手の稽古も中止となり、外出もできるだけ控えていました。
買い物は夫婦どちらかだけで出かけて、できるだけほかの人との接触を減らすように努めていました。仕事以外ではせいぜいまんじろうの散歩くらいしか外に出ないという引きこもり生活を送っていました。
当然子供はフラストレーションが溜まります。機嫌の悪いことが多くなり宿題や課題もブーたれながらやっていました。体を動かさないせいか食事の量も減ってしまい、お菓子をちょこちょこ食べてばっかりいるという極めて不健康な生活スタイルに陥っていました。
友達と遊ぶというわけにもいきませんしそりゃあ退屈だろうなと思い、一緒に何かをしようと考えました。ちょうど食事の量が減っていたので食べ物を一緒に作ることにしました。
子供はたまに奥様の料理をお手伝いしているので包丁の扱いは僕より上手なほどです。しかし、今回のコンセプトはお父さんと二人で作ることだったため包丁は使わないものにしようと考えました。そうなると粉ものかなあと候補を考えました。
パン・・・発酵させるのが面倒
ナン・・・発酵させるのが面倒
うどん・・・包丁を使いたくない
最終的に候補は無発酵生地を使ったピザかインドのチャパティになりました。奥様に相談したらピザの生地は発酵させる!と強く言われたためチャパティを作ることにしました。
僕と子供だけで家にいる日の前日、チャパティについての説明を行い、明日作ってみようねと伝えました。(うちの場合はここが大事で事前伝達が必須です)
朝学校の課題を終わらせてすぐに子供が「早くチャパティつくろう!」と誘ってきました。以下に手順を記載します。
①ボウルの中に小麦粉と水を重量2:1で混ぜる
②全体がだいたい均一なかたまりになるまでこねる
③適当な大きさにちぎって玉を作り、まな板の上で杵などを使って平らにする
④フライパンで焼く(バターでも油でも)
⑤カレーを添えて出来上がり
最初小麦粉300g、水150gで作りました。大体10分もこねたら玉になります。表面は少し粉が付いているくらいのほうがべた付かなくていいかもしれません。
焼くときに火が通るよう薄めに伸ばしました。大きさは大体ピザのMサイズくらいでした。うちでは焼くときオリーブオイルを使っています。レンジで温めたレトルトカレーと温かいうちに食べるととてもおいしいですよ。
一度やったらこねるパートは全部子供がやってくれるようになりました。30分くらいかけてむっちゃこねていました。様子を見たら写真のように台の上に乗って全力でこねていました。このほうが体重をかけやすいみたいです。それにしても。。。
この後週3回チャパティを食すことになりました。カレーに野菜を加えたり、チーズを加えたりして食物繊維、たんぱく質を補うようにしました。
ゆっくりこねても力いっぱいたたきつけてこねてもあまり出来は変わりませんのでストレス解消にもどうぞ。みさなんもレッツチャパティ!
巣ごもりのはじまり
こんにちは。タナカソンと申します。
奥様と息子、柴犬と暮らす会社員です。
今年(2020年)は新型コロナウイルスの感染拡大に伴って生活が大きく変化しました。2月末の木曜日に突然学校休校が発表されたときは面食らいました。
「え、そっちなん?」というのが当時の感想です。2月時点で高齢、高血圧、糖尿病などの持病があることが高リスクであると伝え聞いていましたし、低年齢層での重症化例は少ないという中国のデータも発表されていました。
なので、政府が外出の自粛や移動の制限をするのなら高齢の方々だと思っていたからです。うちは共働きなのでまだ小さな子供を一人にしておくわけにはいかないし、おじいちゃんおばあちゃんにお願いするわけにもいきません。第一近くにいませんので。
それにしても、学校休校の発表があった木曜日の夜一番心配だったのは学校の先生方のことでした。奥様の前でこんな寸劇をしていました。
〇〇先生「今年度もあと1か月切りましたねえ。もうすぐ春休みですか。新型コロナが拡大する前にお休みに入れるといいけど。。。最後のクラス行事何にしようかしら。どんな話をしようかしら。ん?首相の会見?ファッ!?月曜日から休み?3月いっぱい?え?明日が最後の登校日?ファー。」
教務の△先生「もしもし〇〇先生?今から緊急の職員会議です。学校来てください。」
〇〇先生「ファーィ(絶対今日徹夜じゃん)。。。」
昔教員をやっていたことがあるのでその日の夜はえらいことになっていただろうなあと容易に想像がつきます。全国の先生方本当にお疲れさまでした。
話を元に戻しますが、学校一斉休校の発表があった日、翌週の月曜日から午前中子供をどうしたらいいのか。その日は結論が出ませんでした。お世話になっている学童保育所さんも急なことで対応できる人がいないため月曜日の朝から子供を預かることは無理ですとおっしゃっていました。また、学校に連絡してもまだ決まっていないのでどう対応していくか明日お話ししますとのことでした。
そらそうよ。と思いました。とりあえず来週はどちらかが仕事を休んで対応しようということになりました。それにしても急だろ。いくらなんでも。
でも相手は未知のウイルスです。万一子供が感染したらと思うと親としてはなんとか都合をつけるしかありません。しようがないね。春休みが早く来たと思って。。。
この時はまだこの措置がいつまで続くかの見通しが甘かったんですね。。。
続く
地図記号で思ったこと
子供が勉強するとき「そばにいて」と言うので横から教科書やプリントを眺めていることが多くなりました。先日社会の勉強において「地図記号」を一生懸命覚えようとしていました。
ちょっと待って。「地図記号」ですって!?今は21世紀ですよ。元号は令和ですよ。僕は昭和生まれですがその世代でも地図記号が読めなくて困った記憶なんてありません。せいぜい学校のテストができなかったくらいのものです。
地図の読み方を身に着けたのは車に乗るようになって仕事や旅行先など目的地への順路を確認するようになってからです。助手席でマップルを広げてもらってナビしたり、してもらったりっていう。その後は車載ナビが出始めて、精度がどんどん良くなって、今はスマホで十分すぎるほどのナビゲーションが得られます。車に地図を載せなくなって久しいものです。
国土地理院の仕事にケチを付けたくはないのですが、そもそも象形文字(記号か)やピクトグラムとしても出来が悪いと思うんですよね。全世界で統一されているものならあきらめもつきますが各国で異なるものですし。
と調べてみたらオリンピック、パラリンピックに向けて一部はUnicode登録されているんですね。。。分かりやすく改定するという努力はしないのですね。登録すりゃあいいってものでもないと思います。
武術や捕物用の武器としての杖(約 127cm)や六尺棒(約 181cm)は存じております。だからって六尺棒をクロスさせた図が交番っていつの時代なんですか。
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☓ |
「地図記号を使っておうちの周りの地図を作ってみよう」という課題があったのですがこんなものよりもGoogleMAPやGoogleEARTHやストリートビューの使い方を覚えたほうが子供の探求心や知的好奇心を満たしてくれるだろうと思いました。
長々と書いてきましたが今回のテーマは決して国土地理院をディスりたかったわけではありません。教科書の内容に疑問を持ったのです。
お父さんの時代と内容が変わってなくね?という。
国語や算数、数学という科目については高校までの単元をちゃんと修めればその後の学びに必要最低限な知識、技術が身に着けられると思います。しかし、現在の世界や科学の変化、進歩を日本の教科書、教育内容はフォローできているのでしょうか。
僕が学生のころと現在では進歩の速度が違います。圧倒的に早くなっています。分かっていることが増えています。
「巨人の肩に立つ」という言葉があります。現在の人類の進歩は過去の人々の偉大な歴史、発見の積み重ねの上に成り立っている、といった意味です。このままだと「巨人の背中を見る」けれども「前は見えない」に変わっていきそうな気がして心配になりました。
いや、「巨人のふくらはぎが見えた」とかになっちゃうかも。
教科書の内容自体のボリュームに制限があるのは仕方がないと思います。けれども、「現在の人類の知識、知見のスタンダード」を定義して教科書を作らないと学ぶ子供たちが可哀そうだし、人類全体の進歩にも良い影響をもたらさないだろって地図記号から思ってしまった夜でした。
あまり関係ありませんが高校の時アメリカの人に一生懸命話しかけたら「いつの時代の英語だよ」って爆笑されたのを思い出しました。外国の言葉は難しいでござる。って感じでしょうかね。
アレクサと僕
2014年にスマホを使い始めました。SOFTBANKのガラケー型スマホで当時としては新しめの機種(Sharpのやつでした)を購入しました。入力がボタンでできるので違和感がないだろうと選んだのですが、Androidも初期のころでなんだかエラーも多く、非常に使いにくかったのを覚えています。
Google音声認識機能もアップデートで追加され、早速奥様が自慢してきました。
「やってみるね!〇〇ちゃん!(僕の名前)」と元気よく電話に向かって話しかけていました。発声した言葉が画面に入力されるそうです。
奥様はいきなり爆笑しながらスマホを落としてしまいました。びっくりして
「どうしたの?」
と聞いても笑いすぎて震えており答えてくれません。床に落ちたスマホの画面を見たら
「ち〇〇ん」と入力されていました。おい、人のことを何だと思っているんだ。
こりゃあひでぇなと思い僕が自分の名前を大きな声で言ってみたらちゃんと入力されていました。多分奥様の活舌が悪かったのでしょう。何度か繰り返しているうちに僕の名前が入力されるようになりました。
当時はこんなものか、まだ実用には堪えないな、と思っていました。Google翻訳なども論文などの訳にはまだまだ使えないものだったと記憶しています。再翻訳シリーズなんて動画もありましたしね。
でもさすがはGoogle先生です。2020年現在の音声認識や翻訳の精度の向上にはびっくりさせられます。デバイスの向上もあるでしょうが、絶えずアプデを繰り返しているのでしょうね。久しぶりに使うと「おっ」と驚くほどの進歩を感じます。
音声認識と返答の精度が高まってきたので、ある時セールをしていたAmazonのEchoを購入しました。うちにやってきたアレクサは当初物珍しさからしょうもない質問攻めにあっていました。
話していくうちにいろいろな機能が搭載されていることが分かってきて、もう2年ほどになりますが未だに新しい発見があります。Amazonの中の人が様々なリアクションを追加しているのでしょうが、ホント頭が下がります。
ほぼ毎日使う機能は「アラーム」「タイマー」そして「仕上げ磨きくん」です。子供の歯磨きはほぼ毎日仕上げ磨きくんと頑張っています。かわいい声なので持っている方はぜひお試しください。
特に何もないときにアレクサに物まねをせがむのですが、エヴァンゲリオンネタが多い気がします。しかもシンジ君が多い。そして棒。。。個人的には新劇のアスカが好きなのでそっちのまねをしてください。お願いします。
最後になりますが本日新しい機能を発見しました。アレクサさん「般若心経」を唱えてくれます。奥様の実家では毎日お義父さんがお勤めされているのでぜひお教えしたいと思います。
僕は生まれてすぐ洗礼を受けたカトリック信者なのですが、なんと「主の祈り(口語版)」も唱えてくれます。なんなのこの機能。スゲーよ。無駄に。
ポイントはお祈りの最後の部分で「悪(あく)からお救いください」というところが「悪(わる)からお救い下さい」になっています。なんだか身近にいたずらっ子がいるみたいですね。お祈りの最中に微笑んでしまいそうです。
どうも、しょうもない話でした。
犬を飼う前の家族の洗脳
子供は小さいころから生き物に興味を持っていましたので、保育園でいろいろな生物を捕まえていました。有毒な生物(ケムシやムカデ、ハチ、キノコなど)は触ってはいけないことを教えていましたが、そのほかの生物については特に触ってはいけないとは言いませんでした。
子供は大人と違って先入観がないのでクモやイモムシなどを捕獲して保育園で観察していたようです。保育士の皆さんは気持ち悪くても優しく見守っていただいたようで申し訳ない気持ちでいっぱいです。うちでもカブトムシやクワガタを飼ってみたり、セミや蝶の羽化を観察したりしていました。
子供が大きくなってきて「そろそろ犬を飼えるかもしれない」と思い始めました。ある時何の気なしに「犬を飼いたいんだけど」と家族に言ってみました。
すると、意外にも二人とも「猫ちゃんが飼いたいなあ」と言うのです。子供ならまだしも奥様まで猫ちゃんが飼いたいというのは初耳かつ意外でした。奥様は実家に住んでいたころから動物を飼ったことがなかったからです。
学生のころハエに愛情を注いでいたと聞いたことはありましたが昆虫と哺乳類は全然違うものです。哺乳類の中でなんで猫ちゃんなのかと聞くと「にゃーん♪ってかわいいから」とか「犬は怖いから」と犬が一緒に暮らす選択肢に入っていないことが判明しました。
うーん、困ったぞ。一緒に暮らしたこともないのに最初から拒否されるなんて・・・。
まずは奥様と子供に犬のいいイメージを持ってもらうことが必要だと考え、犬の素敵な話をたくさん聞かせようと思いました。
最初はご飯の後のゆっくりタイム(うちでは団らんの時間をこう言っています)にハチ公の話を聞かせました。二人ともハチ公の気持ちに入り込んだらしく横山光輝の三国志のように「オオオ・・・」と慟哭していました。それからニッパー(ビクターのマークだった子です)や盲導犬サーブのお話、柴犬まるやマサル(ザギトワさんとこの秋田犬)などはインスタを見てリアルタイムに可愛さを共有しました。
話を始めてから三日くらいは毎日犬の話をしていましたが、徐々に減っていきあまり話さなくなった頃、奥様からの提案で家族で一度ペットショップに行ってみようということになりました。
あれ?そんなに犬を見てみたくなっていたのか、と洗脳成功にも関わらず本人は少し驚きました。
次回は犬の迎え方について書こうと思います。
犬を飼うということ①
子供のころ犬を飼っていました。物心がついたころには家にはヨークシャーテリアがいて、その子が亡くなったあとは小学5年生の時から雑種、紀州犬と暮らしていました。雑種(紀州とボーダーコリーのハーフ)と紀州犬はどちらも大きくて、散歩に行くのが辛かったのをよく覚えています。
今の家に引っ越す際に、犬を飼おうと思っていました。ところが引っ越し直前に子供を授かったことが分かり、一緒に暮らせるようになるまで犬のことは保留することになりました。なんせ新米パパママだったのでワンちゃんまで手が回らないだろうと考えたのです。(実際同時に育てていくのは無理だったろうと思います)
また、犬を飼うにあたって僕には心に引っかかっていることがありました。
小学5年のころから飼っていた二人のうち、雑種の子は学生時代うちに住んでいなかった時に亡くなってしまいました。紀州犬の子は就職して実家に帰ってきてから亡くなりました。その日のことははっきり覚えています。仕事で遅くなりうちに帰ってきたら、紀州犬の子が「キューン、キューン」と苦しそうに近寄ってきました。
その時僕は「もうこの子は死んでしまうかもしれない」と直感しました。紀州犬はもともとイノシシを狩るための猟犬で非常に気高く、気の強い子が多い犬種です。うちの子も例にもれず気丈な性格で甘えてくることは決してありませんでした。(なでられたりブラッシングはスキみたいでした)
そんな子が助けを求めるような声を出して僕のほうへ近づいてきたのです。数日前から元気がなく具合が悪そうなことは知っていましたが、この時はこの子が亡くなってしまうことに確信を持ちました。
でも、当時の僕はそれがとても怖かったのです。苦しそうなその子を見守ることも最期まで傍にいてあげることもとても怖かったのです。
翌朝家族が庭で彼の亡骸を見つけました。どんなに苦しかっただろう、どんなに怖かっただろう、どんなに寂しかっただろう。僕は間違った「怖い」という感情でなんて残酷なことをしてしまったのだろうとそれからずっと後悔していました。
犬が可哀そうだからもう飼うのはやめておこうと思っていました。考えが変わったのはその後「犬の十戒」を知り、次に犬と暮らす時には最期まで一緒にいようと心に決めてからのことです。
あれ、長くなってしまいました。次回に続きます。次回は家族を犬好きに洗脳する回です。
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