地図記号で思ったこと

子供が勉強するとき「そばにいて」と言うので横から教科書やプリントを眺めていることが多くなりました。先日社会の勉強において「地図記号」を一生懸命覚えようとしていました。

 

ちょっと待って。「地図記号」ですって!?今は21世紀ですよ。元号は令和ですよ。僕は昭和生まれですがその世代でも地図記号が読めなくて困った記憶なんてありません。せいぜい学校のテストができなかったくらいのものです。

 

地図の読み方を身に着けたのは車に乗るようになって仕事や旅行先など目的地への順路を確認するようになってからです。助手席でマップルを広げてもらってナビしたり、してもらったりっていう。その後は車載ナビが出始めて、精度がどんどん良くなって、今はスマホで十分すぎるほどのナビゲーションが得られます。車に地図を載せなくなって久しいものです。

 

国土地理院の仕事にケチを付けたくはないのですが、そもそも象形文字(記号か)やピクトグラムとしても出来が悪いと思うんですよね。全世界で統一されているものならあきらめもつきますが各国で異なるものですし。

 

と調べてみたらオリンピック、パラリンピックに向けて一部はUnicode登録されているんですね。。。分かりやすく改定するという努力はしないのですね。登録すりゃあいいってものでもないと思います。

 

武術や捕物用の武器としての杖(約 127cm)や六尺棒(約 181cm)は存じております。だからって六尺棒をクロスさせた図が交番っていつの時代なんですか。

 

 

     ☓

交番

交番と派出所駐在所をあらわす。
交差させた警棒(六尺棒)を図案化。

     ☓
   U+2613

 Wikipediaより

 

地図記号を使っておうちの周りの地図を作ってみよう」という課題があったのですがこんなものよりもGoogleMAPやGoogleEARTHやストリートビューの使い方を覚えたほうが子供の探求心や知的好奇心を満たしてくれるだろうと思いました。

 

長々と書いてきましたが今回のテーマは決して国土地理院をディスりたかったわけではありません。教科書の内容に疑問を持ったのです。

 

お父さんの時代と内容が変わってなくね?という。

 

国語や算数、数学という科目については高校までの単元をちゃんと修めればその後の学びに必要最低限な知識、技術が身に着けられると思います。しかし、現在の世界や科学の変化、進歩を日本の教科書、教育内容はフォローできているのでしょうか。

 

僕が学生のころと現在では進歩の速度が違います。圧倒的に早くなっています。分かっていることが増えています。

 

「巨人の肩に立つ」という言葉があります。現在の人類の進歩は過去の人々の偉大な歴史、発見の積み重ねの上に成り立っている、といった意味です。このままだと「巨人の背中を見る」けれども「前は見えない」に変わっていきそうな気がして心配になりました。

 

いや、「巨人のふくらはぎが見えた」とかになっちゃうかも。

 

 

教科書の内容自体のボリュームに制限があるのは仕方がないと思います。けれども、「現在の人類の知識、知見のスタンダード」を定義して教科書を作らないと学ぶ子供たちが可哀そうだし、人類全体の進歩にも良い影響をもたらさないだろって地図記号から思ってしまった夜でした。

 

あまり関係ありませんが高校の時アメリカの人に一生懸命話しかけたら「いつの時代の英語だよ」って爆笑されたのを思い出しました。外国の言葉は難しいでござる。って感じでしょうかね。